
受験が終わった春に、親として思うこと――そして最終回
春が来て、3番目の子どもの進学先が決まった。
この数年、当たり前のようにあった「受験」という言葉が、急に遠くなった気がする。
3人分の受験を経験したことになる。
回数にすれば、6回以上(1名浪人)。
最初は何もわからず、ただ不安で、つい口を出してしまっていた。
「ちゃんとやってるのか」
「このままで大丈夫なのか」
「勉強もしてみた……中学生の内容までで限界だった」
聞いても仕方のないことを、何度も聞いた気がする。
1人目の時は親がわちゃわちゃだったが、おつむの出来が良すぎたんだろう、国立大学にすんなり合格していた。
2人目のときは、少しだけ余裕があった。
流れはわかっている。
けれど、だからといって、うまく関われるわけでもなかった。
本人の努力もありながら、結果は届かず、一浪を経験することになった。
そして3人目。
ここまで来て、ようやくわかったことがある。
親にできることは、思っているより少ない。
勉強を代わることもできないし、結果を引き寄せることもできない。
せいぜい、環境を整えたり、話を聞いたりするくらいだ。
それでも、不思議なもので、「何もできなかった」とは思っていない。
同じ時間を過ごして、同じ空気の中で、少しだけ近くにいた。
それだけで、十分だったのかもしれない。
受験が終わって、やっと一息ついたはずなのに、どこか静かで、少しだけさみしさもある。
春からは、それぞれの場所へ。
子どもは次のステージに進んで、親としての役目も、ひとつ区切りがついた気がする。
(また2年後に高校受験があるけどね)
終わった、というより、形を変えた、というほうが近いのかもしれない。
正しい関わり方なんて、最後までわからなかった。
でも、あの時間は、確かに一緒に過ごした時間だった。
これから受験を迎える人に、何か言えるとしたら、たぶんひとつだけだ。
「きっと、なんとかなる」
うまくいかない日もあるし、迷うこともある。
それでも最後には、それぞれの形で、落ち着くところに落ち着く。
だから、少しだけ、信じて見ているくらいで、ちょうどいいのかな。
そんなことを思いながら、少し静かになった家で、春を迎えている。
——いや、静かでもないか。
20歳を超えた息子たちが春休みに帰ってくる。
一緒に飲むお酒が、今はとても楽しみです。
——そんな春です。
このブログは、ここで一区切りにします。
この場所はこのまま残しておきますが、新しく書き続けることは、もうありません。
ただ、受験生とその親は、これからもずっと存在し続けます。
同じように悩んだり、迷ったりしている誰かにとって、
ここに残した記録が、ほんの少しでも役に立つことがあればうれしいです。
これまで読んでいただき、ありがとうございました。